C&C
the
HISTORY

1992年・中学の同級生だったケンゴ(Ba/Vo)・コウジ(Gu/Vo)
トガシ(Dr)の3人が意気投合しバンドを結成。
東京〜千葉・各ライブハウスにて、月に4〜8本のライブを行い、
12月には自主制作シングルCD「MINI ALBUM」を発売し話題を集める。
が・・・結成当初から「ウソとハッタリとモノマネ」のオンパレードな姿勢を貫いていた為、地元のバンド関係者から「CDも本当は発売されてねぇんじゃね?」と噂される事となる。
なお、このCDはあまりにも「若気の至り炸裂」な音源である為、
メンバーから「無かった事にしたい過去その1」として封印されている。

1993年・ピーナッツレコードより1stカセットアルバム「MECHA SHOCK」発売。
当時、本八幡ルート14が経営するピーナッツレコードから無名の新人バンドの音源が全国流通されるのは異例の事であり、それによってとある地方都市ではC&Cのコピーバンドまで出現する事となった。
が・・・本人達はそんな事はゼンゼン知らず
「おれ達売れないね・・・」と嘆いていた。
後に、この音源について「ハッタリかまして調子のイイ事ばっか言ってたらホントに出してくれた」とケンゴは語る。

同年11月・スリーピースでの活動に限界を感じ、ベーシスト加入を考案。
C&Cの魅力とはケンゴとコウジのツインボーカルであった為、スリーピースでの活動を望む声もあったが、更なる飛躍の為に地元千葉のパンクバンド「VISIBLE FUCKER」で活動していたキーチをベースとして迎える。
これにより、ベース・ボーカルだったケンゴは肩からベースを下ろし、ボーカルに専念する事となった。
が・・・ボーカルに専念しても唄はヘタクソなままであり、この事実が後々バンド内に軋轢を生じさせる事となる。

1994年1月・千葉LOOKでのライブ当日、出演が予定されていた他のバンドが次々と突如キャンセルを申し出てきた為、本人達の意思とは裏腹な初ワンマンライブを決行。
結果「動員人数4人」という驚異的な数字を打ち出し、関係者を驚愕させる。
現時点で、千葉LOOKで行われたワンマンライブの動員数ワースト1記録は未だに破られていない。

同年5月・東京・神奈川・千葉で活動していた若手パンクバンド(the CHOP/NOISY TEPE RECORDER/the GOZZ/スーパーブービーズ)を集め、初の自主企画「テイスト・オブ・パンチ」を開催。
同日、デモテープ「NO MORE NICE GUY」を無料配布。
このデモテープは瞬く間に品切れとなった。
が・・・この音源は「景気点けに録音しようぜ!」というだけの意思のもと録音した為、演奏力・歌唱力・楽曲の品質・どれを取っても最低なモノであり、「無かった事にしたい過去その2」となる。

同年9月・2ndアルバム「C&C MUSIC FUCK TO ME」完成。

同年12月・解散。
解散によって発売が予定されていた2ndアルバムがお蔵入りとなる。
解散後はケンゴ(ボーカル)とキーチ(ベース)のポジションが入れ変わっただけのバンド「シニスターシックス」として活動するが、メンバーの方向性と意思のズレによって半年ほどで解散。
その後、ケンゴとトガシは「the SNiPE」・コウジは「the SLIDE」・キーチは「the Mr」をそれぞれ結成する事となる。

1996年・千葉LOOKにて、突如、3人編成のオリジナルC&Cが一夜限り再結成される。
が・・・一部のマニアには歓迎されたが、すぐに忘れられた。

2006年10月・それぞれのバンドで活動していたメンバーが集まり、12年ぶりの再結成。
それに伴い、お蔵入りとなっていた2ndアルバム「C&C MUSIC FUCK TO ME」がCD-Rで発売される。
木更津グラフでのライブ終了後、コウジ・トガシ脱退。

2007年2月・ギターには、メンバーが「ギターはこいつに!」と熱望した千葉のトラッシュハードコア「NOT」のヒデ、ドラムにはキーチと「冗談クラブ」で活動を共にしていたユータを迎え活動再開。
「今度こそ全米を震撼させてやろうぜ!」とはケンゴの弁。

2ndアルバム「C&C MUSIC FUCK TO ME」

初自主企画・TASTE OF PUNCH

意図せず決行されたワンマンライブ

キーチ(Ba/右端) 1993年11月加入

左からヒデ・キーチ・ケンゴ・ユータ

1st カセットアルバム「MECHA SHOCK」